前話まで:ローズは、相手の言葉を待たず完璧な花束を提案し、最初の来訪者を帰らせてしまいました。やり直した相談では、来訪者自身が一輪を選びます。閉室後、三十年前の「支払済・未配達」伝票が見つかりました。
翌朝、花暦編集室の扉には、新しい札が増えていた。
――一本でも、迷ったままでも、どうぞ。
「昨日より、また長くなってる」
脚立の上で、ガーベラが言った。彼女は入口の棚を「明るい」「落ち着く」「言葉が少なくてすむ」の三段に分けようとしている。
「花を三段で決めつけないで」とローズ。
「じゃあ四段?」
ローズが返事を探しているうちに、スーツ姿の男性が入ってきた。時計は十二時十二分。彼の手には、小さく折り畳まれた紙袋がある。
「一時までに戻らないといけません。今日、同僚が辞めるので、花を渡したいんです。でも、何を選んでも嘘になりそうで」
ローズは「送別なら」と言いかけて止まった。
「何を選ぶと、いちばん嘘っぽく感じますか」
男性は花ではなく、床を見た。
「みんなは『新しい門出、おめでとう』って。でも、その人は辞めたくて辞めるわけじゃない。家族の介護で、続けられなくなったんです」
ガーベラが脚立を降りた。
「明るい花を渡したら、明るくしろって言ってるみたいですか」
「はい。でも落ち着いた色にしたら、かわいそうだって決めつけるみたいで」
ローズの頭には、白と緑の静かな花束、持ち帰りやすい小さな包み、香りの弱い花が次々に浮かんだ。どれも形としては正しい。
だから、口に出さなかった。
「花とは別に、その人へ何を伝えたいですか」
男性は腕時計を見ずに考えた。
「仕事を教えてくれて、助かったって。それと、もし戻りたくなったら、席はなくても、一緒にお昼を食べる場所ならあるよって」
「それなら、花に全部を任せなくてよさそうですね」
男性は初めて、花の方を見た。
色担当のガーベラが、作業台へ三本を運んだ。赤みのある橙、淡い黄、少しくすんだ桃色。どれも、彼女と同じ名前を持つガーベラの花だった。
「色に正解はないですよ。自分の言葉がいちばん言いやすくなる一本を、選んでみませんか」
男性は黄色へ手を伸ばし、途中で止めた。桃色も見た。最後に、赤みのある橙を持ち上げた。
「この人、会議では静かなのに、お昼だけ急に話すんです。この色、そのときの顔に似ています」
「うん。それが、この一本を選んだ理由ですね」とローズが言った。
包み紙の端へ、男性は自分で一行を書いた。
――おめでとう、ではなく。ありがとう。また昼を食べましょう。
「これなら、嘘をつかずに渡せます」
時計は十二時三十七分。男性は橙色の一輪を持って、会社へ戻っていった。
ガーベラは入口の棚から「明るい」という札を外した。代わりに、白いカードを三枚置く。
――どんな場面ですか。
――どんなことを言いたいですか。
――相手の暮らしで、気をつけたいことはありますか。
色で花を分類する棚は、選ぶ理由を探す棚に変わった。
閉室後、二人は古い受注伝票を作業台へ広げた。品種欄を縦に走る折り目へ、ガーベラが光を当てる。
「ローズ。文字が消えたんじゃないかも」
折り目の左に一文字。右には、数字にも見える古い書体。
「左右を別々に読んでいたとしたら?」
二つをつなげると、花の名前らしい形が浮かんだ。
ただし、それは今の呼び名と同じとは限らない。
ローズは伝票の横に、白いカードを一枚置いた。
――市場の古い記録で確かめる。
この話の花の事実
農林水産省は、ガーベラを少量の水で飾る「浅水」の例として紹介し、花瓶の水は継ぎ足さず毎日交換するよう案内しています。花の状態や購入店の指示を確認し、品質保持剤は表示どおりに使ってください。
花店で使える一言
「送別ですが、お祝いと決めつけず、感謝を伝えたいです。自分で一輪選びたいです」
次回への手掛かり
折り目の左右をつないだ文字は、三十年前の市場記録に残るどの花名と一致するのでしょう。


